こんばんは!
夫婦で登山やトレッキングを楽しんでいるyamatomoです!
今朝も、寝不足の私のために、主人がお弁当を詰めてくれていて、本当に助かります。感謝感謝。╰(*´︶`*)╯♡
頭が上がりません!(^_^;)
[char no=1 char=”yamatomo”]いつも、ありがとね![/char]
と心の中で沢山、思っているのですが、これがなかなか面と向かって言葉にして主人に言うのは、恥ずかしいものです。でも、やっぱりいくら夫婦でも言葉で言わないと分からないと思うんです。阿吽の呼吸だったりする夫婦は分かるのかもしれないけれど、分かっていたとしても、素直に感謝の気持ちを言われて嫌な気はしないと思うんです。なので、沢山沢山、感謝を伝えたいといつも思っています。本当です。(^_^;)
今日は午後から雨でした。東北の桜はまだですね。やっと蕾が少し色づいてきた感じかしら。(^_^)
桜の写真は昨年のです。(^_^;)
さて、今日はふと登山家の田部井淳子さんのことを思い出して、その方のインタビュー記事を読んでいたら、なんて前向きで素敵なんだろうと思ったので、そのインタビューで話されていたことをお伝えしたいと思います。╰(*´︶`*)╯♡
この記事の目次
登山&トレッキング、田部井淳子さんのように人生を楽しもう!
昨年亡くなられた田部井純子さんが登山家なのはあなたもご存知だと思います。晩年は病気になってもご夫婦でずっと山に登られてて、そんなお姿を時々テレビでも拝見させて頂いて、素敵なご夫婦だなと感じていました。私もそんな風にずっと主人と登山やトレッキングを楽しめるといいなぁと思っています。╰(*´︶`*)╯♡
田部井淳子さんの闘病生活
田部井純子さんは、2007年に海外での登山中にシャワーがなく体を拭いていて自分で胸のシコリに気がついたそうです。心配性なので帰国して数日中にかかりつけ医を受診されたそうです。医師に「大学病院の乳腺外科で診てもらった方がいい」と言われ、乳腺外科の外来受診し、早期乳がんで「取ってしまった方がいいですね」と勧められ、すぐ入院になったそうです。
乳房温存手術を受け、幸いリンパ節にも他の臓器にも転移はなかったそうです。
田部井さんは、「そうなのね。来たのね。」「3人に1人の“くじ”が当たったのよ。宝くじのような、当たってうれしい“くじ”じゃなくて残念ネ」という気持ちだったそうです。
その手術の10日後には海外の登山ツアーに行ったそうです。抜糸前だったそうですがそのツアーの代表者でしたし、初めての場所でどうしても行きたかったそうです。医師にも了解を得て消毒セットを持って行ったそうです。
2012年には、東日本大震災の後、がん性腹膜炎のステージIIIC(がん細胞が他臓器にも転移している状態)と診断されたそうです。田部井さんが「限りなく末期ですね」と聞いたら、医師は「そうですね」と。内心、驚きながらも「あと、どのくらいですか」と聞いたら、「6月ぐらい、かな」と言われたそうです。この時、余命3カ月ということだったそうです。
その時の率直な気持ちをご主人様と「あと3カ月っていうのは、ないよね」と根拠はないけど半信半疑で話したそうです。
がんになったことは家族とごく親しい友人にだけ話し、気を遣われるとストレスになるため、「がんになったことを周囲に言うな、絶対に騒ぐな」ときつく念を押したそうです。
田部井さんは、「他の人に自分の病気の話をするほうが、私にとっては苦痛です。言ったって、治らないんだから。」「私は普段から、誰かのご主人の愚痴といったネガティブな話を聞くことは、あまり好きではなくて。だから自分もネガティブな話をしたいと思いません。」と話されていました。
がん性腹膜炎の治療法は、手術前後に抗がん剤のTC療法(パクリタキセル+カルボプラチンという薬の組み合わせ)、手術後も同じ抗がん剤の投与を受け、抗がん剤→手術→抗がん剤で8カ月かかったそうです。抗がん剤治療は外来でも受けたそうです。
田部井さんの病状の受け止め方
いろいろな副作用の症状が出るとの説明を受け、医師からは「それでも、普通の生活をしてください」と言われたそうです。その時、田部井さんは、「あぁ、そうか! 普通の生活ができるということは、山に行けるということなんだ」と思い、毎週歩いたそうです。通院している間は、友人との食事や花見、同窓会にも行き、「下山したら病院で治療を受ける。また登る」という生活になったそうです。親しい人と話しているとき、山に登っているときは、つらく感じなかったそうです。
入院した時は、ベッドで白い天井を見ながら「やっぱりホントなんだな」「明日の朝起きたら、何でもなかったということになったらいいな」と一度だけ思い、でも、「これは現実。受け止めないと、前に進んで行けない」とすぐに考え直したそうです。
田部井さんが、30代〜40代の時、山で「あぁ、これで終わり」「もう死ぬんだ」と思ったことが3回あったそうです。雪崩と一緒に落ちたり、雪崩の下敷きになったり、もうにっちもさっちもいかない。雪崩と一緒に落ちた時は、何とかしなくてはと思いながらも、自分の力では何もできず、雪崩の下敷きになった時は、雪で鼻も口も塞がれて、全然、息ができなかったそうです。酸欠になって目の前が黄色くなったり、紫色になったりしながら、頭のなかでいろいろなことを思いめぐらせて、最後の1000分の1秒までがんばらなくてはいけないと思っても、苦しくて苦しくて、あの恐怖は、もう絶対に味わいたくないと。
そのときのことに比べたら、清潔なベッドの上で横になり、医師が何人もいて、最先端の治療を受けられるのは病気になっても、「あぁ、文句を言ってはいけない」と思ったそうです。
田部井さんは登山を始めてから、山で遭難して亡くなっている人のご遺体を何度も見て、初めはショックを受けていましたが、いつしか自分自身も土に帰るんだと自然と思うようになったそうです。であれば、自分が死ぬ瞬間は、「あぁ、おもしろかった!」と死んでいけるようにしたい。「これをしたかった」「あれをやりたかった」「子どもが小さいからできなかった」という愚痴や後悔でなく、その時その時を一生懸命にこなしつつ、自分のやりたいことを続けていくのが田部井さんの理想だそうです。「もし、雪崩に遭ってあのとき死んでいたら、今、“頭が痛い”“肩が凝った”なんてことはないんだな」「これぞ、生きている証拠。死んだらこんなことは考えない」と思うと、ちょっとした不満や不調への愚痴は出てこなくなります。むしろ、「今日も生かされている」と感謝の気持ちが出てくるようになったそうです。がんを経験して、なおさらそう感じるようになり、朝起きて、今日も生きられることに「ありがとうございます」と感謝するそうです。
今を大切にしないと。夫や子どもたちを見送るときは、いつも「これが最後になるかもしれない」という気持ちで「いってらっしゃい」と言っていたそうです。「そう思えば怒りにまかせて口をきかなくなったり、電話をガチャンと切るなんてできません。」
インタビュー記事を読んで思うこと
田部井さんにとって、「普通の生活=山に行く」だったんですね。山が生活の一部となっていて、山に元気をもらって、本当に山が好きだったんですね。病気になったとしても好きなこと、やりたいことをできるのは、もの凄く幸せなことだと思います。一度しかない人生、大切な人と大切な時間を、田部井さんのように後悔のないように、好きなことや、やりたいことをやって楽しく生きたいですね。愚痴を言ってる時間がもったいないです。愚痴って、愚痴ってる本人も愚痴られる周りの人も全然楽しくないと思います。その時間を、もっと大切な人を思い、大切な人と楽しく過ごすことを考える方がよっぽど楽しいしワクワクすると思います。その積み重ねがきっといい人生だったと思えることになるのではないかと思います。╰(*´︶`*)╯♡
実は、私も毎朝、主人が出勤して行くのを玄関から見送るのですが、それは、やっぱり田部井さんと同じように、「これが最後になるかもしれないから後悔しないように」という思いがどこかにあるからだと思います。もちろん、そんなことがあるのを予測している訳ではないです。ただ、いつでもお互いが気持ちよくいた方が後悔はないと思うのです。
そういえば、今まで心の中で1日の終わりには、いつも今日も無事だったことに感謝していたのですが、最近、忙しさに忘れていました。(^_^;) いけない、いけない、思い出すいいきっかけになりました。これからも日々、生かされていることに感謝して、主人と登山やトレッキングをしつつ楽しんで生きて行けるように精進したいと思います。٩( ‘ω’ )و
あなたはどうですか? 大切な人との時間、大切にしていますか? あなたも今一度思い返して人生を楽しみましょう!
最後までお読み頂きありがとうございました。
愛と感謝を込めて。
yamatomo